【留学生を支える私の原点シリーズ:第2回】“My name is” も言えなかった私の最初の転機
サクセスカナダ代表・ヨシミの留学経験と人生の選択をたどりながら、なぜ今、彼女が“寄り添うサポート”を大切にしているのかを紐解くシリーズ、第2回です。 Q1. 初めての留学先はどこだったのですか? アメリカのテネシー州、ナッシュビルです。カントリーミュージックで有名な街ですね。 正直、行くまで場所もよく分かっていなかったです。父が「日本人は少ないけど、日本の会社があるから日本人もいるかもしれない」と聞いてきてくれて、「じゃあ行ってみようか」という感じでした。 Q2. 渡航した当時の英語力は、どれくらいでしたか? 好きでしたけど、全く話せませんでした。本当に、ほとんど何もできなかったです。 人の言っていることは分からないし、話すこともできない。 「My name is」すらも口からすっと出てこなかったので、自分の鼻を指さして「よしみ、よしみ」って伝えるところからのスタートでした。 Q3. 現地での生活はどんなスタートでしたか? 18歳だったので、それまでずっと親に守られて、友達に囲まれて生きてきたんですよね。誰も知らない土地で、建物も食べ物も全部違う。 最初は「わあ、すごい!私はいつ英語が話せるようになるんだろう」って、夢と希望でいっぱいでした。 でも、現実は全然甘くなかったです。 Q4. 通っていた学校やホームステイについて教えてください。 当時は今ほど語学学校が多い時代ではなかったんですが、なぜかレコーディングスタジオが並ぶストリートに新しくできた語学学校に通っていました。 ホームステイ先は、その学校の学長さんのお知り合いのご家庭で、そこからバスで通学していました。ホストファミリーは本当に良い方たちで、今でも連絡を取り合っています。 一番仲が良かった小学生の末っ子が、今では3人の子供のママ、留学で得た財産の一つです。 Q5. 留学中、つらいと思うことはありましたか? もちろんありました。話せない、聞けない、自分の思いが伝わらない。 でも、不思議と「帰りたい」とは思わなかったです。両親には「つらかったら帰ってきていいよ」と言われていましたが、私は「帰りたくない」と思っていました。 話せてはいないけれど、「なんか楽しいし、私できそうな気がする」そう感じて1年まるまる過ごしました。 Q6. その1年の留学は、その後の人生にどう影響しましたか? この留学は、自分自身の「ゲートが開いた」経験だと思っています。一番大きかったのは、人と話すことが億劫ではなくなったことです。 それまでは、「どう思う?」って聞かれたら、誰かの意見に合わせることが多かった。でも、自分の考えを持って、それを伝えられるようになりました。 Q7. 変化による“痛み”のようなものはありましたか? ありました。いつもYesと言っていた自分が、時にはNoと自分の意見を言うようになったことで、それまで仲が良かった友達と距離ができたこともあります。 でも、それによって「本当の友達が誰なのか」が見えたとも思っています。 それまでと違ったタイプの友達が出来始めたのも、その頃からです。 それは、私にとってはポジティブな変化でした。 次回予告(第3回) 18歳のナッシュビルでの1年は、ヨシミに「自分の意見を持ち、伝える力」をもたらしました。その経験は、その後の選択や生き方の土台となる、大きな転機でもありました。 帰国して大学を卒業後、日本で社会人として働きながらも、彼女の中には消えることのない想いが残り続けていました。 次回は、30歳を過ぎてワーキングホリデーが使えない状況の中、観光ビザでカナダへ渡るという決断をしたヨシミが、「帰るつもりだった」はずの旅を、人生を懸けた挑戦へと変えていく過程をお届けします。