サービス

創業23年の実績を誇る、安心で信頼のおける現地留学エージェント。
留学生の目線で一緒に考え、学校やホームステイとも密着連携で、
カナダ・カルガリー留学、夢の実現を応援します!

  • サクセスカナダが選ばれる理由

    • 現地エージェントならではの、正確な最新情報がすぐ手に入る
    • 一人ひとりの要望や事情に寄り添った、きめ細かで親切なカウンセリングが受けられる
    • 現地到着後も変わらない、手厚いサポートで家族や友達がいるような安心感
  • サクセスカナダの特徴

    • ご紹介によるご利用が半数近くを占め、お客様との信頼感が私達たちの誇りです
    • カナダ・カルガリーでの長年に渡る経験と、培ったネットワークによる圧倒的な現地情報力
    • フレンドリーなスタッフと、親切な対応
  • 主なサービス

    渡航前:留学カウンセリング、学校手続き、ホームステイ手配や渡航準備のアドバイスなど

    渡航後:生活に役立つ情報提供、トラブル解決のお手伝い、現地生活相談など

About Canada カナダ・カルガリー留学の魅力

【留学生を支える私の原点シリーズ:第4回】未経験でホテル勤務。カナダでつかんだ“残るチャンス”

サクセスカナダ代表・ヨシミの留学経験と人生の選択をたどりながら、なぜ今、彼女が“寄り添うサポート”を大切にしているのかを紐解くシリーズ、第4回です。 Q1. 観光ビザでカナダに滞在していた時、まず何をしようと思ったのですか? 観光ビザで来ていたので、残れる時間は6か月だと思っていました。その6か月で「自分に何ができるだろう」と考えたときに、まず始めたのが仕事探しでした。 でも、なかなか見つからないんですよね。当たり前なんですが、観光ビザなので。ワーキングホリデーも取れなかったので、カナダで仕事の経験を積むこともできない。本当に必死でした。 Q2. 仕事探しはどのようにしていたのですか? 求人広告に応募するときは、最初から「私にはビザがありません」ということを書いていました。それでもコンタクトしてくれる企業がないか、とにかく探していました。 でも5か月くらい経ってしまって、いよいよ来月帰らないといけないという時期になりました。その時に父に電話をして「こっちに残れそうにないので、来月帰るから」と伝えたんです。 Q3. そのタイミングで転機があったのですか? ちょうどその年、バンクーバーオリンピックの準備がある年でした。ブリティッシュコロンビア州と、アルバータ州の2つの州だけ、特別なビザが出るという話が出ていたんです。 ホテル業や飲食業など、観光業に限って働けるビザが期間限定で発給されるというものでした。 Q4. そのチャンスをねらって仕事を探し始めたのですか? はい。でも私は「バンクーバーに住みたい」という思いが強かったので、最初はバンクーバーでの仕事にこだわっていました。 そんな時に、求人広告で「バンフ」という場所のホテル勤務の募集を見つけたんです。観光で一度しか行った事のない場所、「バンフってどっち方面?」という感じでした。でも調べたら隣の州にある町だと分かって、とりあえず応募してみました。 Q5. 面接はどのように進んだのですか? 応募したときは、正直ビザのことや年齢のこともあり「多分無理だろうな」と思っていました。でも、突然「面接に来れますか?」と電話がかかってきたんです。 ただ、その時はもう資金がほとんどなくて、日本に帰るお金で精一杯でした。なので正直に「面接に行くお金がありません」と伝えました。すると「じゃあ電話でお話ししましょう」と言ってくれたんです。 Q6. 面接は電話で行われたのですか? はい。電話面接でした。まず一般のスタッフの方から電話があって、その後スーパーバイザー、デパートメントのマネージャー、最後に総責任者 全部で4回くらい電話面接がありました。顔を見たこともないのに面接が続いて、最後に「写真を送ってもらえますか?」と言われて写真を送ったら、「採用します」と言われました。 Q7. ビザの問題はどうなったのですか? その時に私も「私ビザないんですけど」と聞きました。すると「こちらでサポートします」と言ってくださったんです。 Q8. 周りの人の反応はどうでしたか? 友達にその話をすると、「絶対騙されてるから、ちゃんと調べたほうがいい」と言われました。確かにそうですよね。 観光ビザで、会ったこともなくて、電話面接だけで採用なんて聞いたことがない。普通はありえない話です。 Q9. それでも行こうと思ったのはなぜですか? 私はホテル業の経験は全くありませんでした。サービス業も経験がなく、「ホテルで何しよう…?」という感じでした。 でも、英語を話す機会があって、カナダに残るチャンスがあるなら行ってみよう、もし残れるようになったらそのあとバンクーバーに戻ってこよう、と思いました。もう本当に賭けのような感じで。 Q10. バンフにはどうやって向かったのですか? バンクーバーから長距離バスに乗って、夜行バスでバンフへ向かいました。朝8時にバンフに着いたのを今でも覚えています。 実は私、自分のことを「晴れ女」だと信じていて。自分の人生で道が開ける時は、必ず晴れるという気がしているんです。 その日、バンフは雲一つない真っ青な青空でした。それを見て、「私、行けるかもしれない」と思いました。 Q11. 実際にビザは下りたのですか? バンクーバーを出発する時には、ビザが承認されていました。その時はバンクーバーオリンピックの為、期間限定の特別ビザ発給で、本来1年のビザのところ、私には2年のワークビザがおりたんです。 次回予告(第5回) 未経験で飛び込んだカナダのホテル業界。英語は不十分、仕事も分からない中での挑戦は、決して簡単なものではありませんでした。 それでも、その経験がヨシミの人生を大きく変えていきます。次回はカナダでの経験が、どのように「サクセスカナダ」というサポートの形につながっていったのかをお届けします。

【留学生を支える私の原点シリーズ:第3回】30歳を過ぎて観光ビザでカナダへ。私の人生を変えた決断

サクセスカナダ代表・ヨシミの留学経験と人生の選択をたどりながら、なぜ今、彼女が“寄り添うサポート”を大切にしているのかを紐解くシリーズ、第3回です。 Q1. アメリカ留学の後、日本ではどのように過ごしていたのですか? そのあと長い間、日本で働いていました。大学を卒業して就職をしたんですけれども、小さい頃からあまり競争心っていうのがなかったので、大学在学中にみんなが就職活動をしているときも、「なんか今じゃないなぁ」というぼんやりとしたイメージを持っていました。 みんなが就職を決め始めていても焦りはなくて、卒業してから半年くらいは何もしていませんでした。「何をしよう?」というよりも、正直に言うと、「何をすればいいのか分からない。将来の目標って何だろう?」そんな状態でした。 Q2. そこからどのように仕事を始めたのですか? まずは社会経験をしてみようと思って、半年後に中途採用で会社に応募しました。最初の会社で5年働いたんですが、5年経ったときに「ここで学べるものは吸収したので、次のステップに行こう」と思って、思い切って辞めて転職しました。 日本での転職経験は、多分3回か4回くらいあります。当時は、一つの会社に入ったら定年まで働くという時代だったんですが、私は4・5年のスパンで会社を変えていました。新しい環境に身を置いて、いろいろなことを吸収したいという気持ちが、どんどん強くなっていったんです。 Q3. 仕事は英語に関係するものだったのですか? それが、全く関係ないんです。英語を使う企業もいろいろ探してはいたんですが、まだ話せていなかったというのもあって、採用まで至ることはありませんでした。 最初は金融関係、その後は保険関係。不動産鑑定士の先生の秘書をやっていたこともあります。分野はバラバラなんですが、全部事務職や事務管理の仕事でした。 Q4. その間も海外への想いは続いていたのですか? はい。小学校2年生のときのハワイ旅行がすごく印象に残っていて、それがずっと私の憧れでもありました。 旅行はとても好きで、学生時代から友達や妹といろんなところに出かけていました。英語を話す機会を求めながら、アメリカやヨーロッパ、アジアなどいろいろな国を旅行していました。 Q5. カナダにはいつ行こうと思ったのですか? 実はカナダは「最後に取っておきたい場所」でした。カナダの英語は発音がきれいで、スピードも早すぎず、アクセントも強くないと聞いていたので、「いつかはカナダも旅行したい」と憧れていたんです。 だから他の場所、アメリカ全土やヨーロッパ、アジアなどを先に回っていました。でも、いよいよ主な国も行き尽くしてしまって、「もう待てないからカナダに行ってみよう」と思って初めて来たのが、わたしにとってのカナダの最初でした。 Q6. 初めてカナダに来たときの印象は覚えていますか? 大阪から出発して、最初に降り立ったのがバンクーバーでした。空港を出てバスに乗ったその瞬間に、「ここ、私の住むところだ」と思ったんです。 何の根拠もないんです。ただ道を見て、家を見て、空を見て、海や川を見て、「ここが私の住みたい場所だ」と感じました。 Q7. そこから実際にカナダに住もうと決めたのですか? 日本に戻って働きながらお金を貯めて、毎年カナダに来るようになりました。本当に毎年来ていました。何年も何年も。 でも30歳を過ぎて、ワーキングホリデーが使えない年齢で、そうすると、もう旅行でしか来ることができない。その時に思いました。「毎年お金を貯めてカナダに来て、1週間とか10日の旅行を一生続けるのかな」。 それだったら、「行っちゃえ、暮らしちゃえ!」と思ったんです。 Q8. ご家族にはどのように伝えたのですか? 予定を立てて相談すると反対される気がしたので、先に全部やってしまいました。会社に「辞めます」と言って、日本の銀行口座も一つだけ残して他は全部閉じて、あるだけのお金を持って両親に「カナダに行くわ」と言いました。 両親はいつもの旅行だと思っていたので「いつ帰ってくるの?」と聞かれて、「分からない。帰ってこないかもしれないし。お金がなくなったら帰ってくる。」と言って、日本を出ました。 次回予告(第4回) 観光ビザでカナダに渡ったヨシミに残されていた時間は、6か月。仕事を探しても「ビザがない」という理由で断られ続け、帰国まであと1か月という状況まで追い込まれます。 そんな時、思いがけない転機が訪れます。次回は、バンクーバーからバンフへ。カナダで未経験からキャリアを切り開くことになる出来事についてお届けします。

【留学生を支える私の原点シリーズ:第2回】“My name is” も言えなかった私の最初の転機

サクセスカナダ代表・ヨシミの留学経験と人生の選択をたどりながら、なぜ今、彼女が“寄り添うサポート”を大切にしているのかを紐解くシリーズ、第2回です。 Q1. 初めての留学先はどこだったのですか? アメリカのテネシー州、ナッシュビルです。カントリーミュージックで有名な街ですね。 正直、行くまで場所もよく分かっていなかったです。父が「日本人は少ないけど、日本の会社があるから日本人もいるかもしれない」と聞いてきてくれて、「じゃあ行ってみようか」という感じでした。 Q2. 渡航した当時の英語力は、どれくらいでしたか? 好きでしたけど、全く話せませんでした。本当に、ほとんど何もできなかったです。 人の言っていることは分からないし、話すこともできない。 「My name is」すらも口からすっと出てこなかったので、自分の鼻を指さして「よしみ、よしみ」って伝えるところからのスタートでした。 Q3. 現地での生活はどんなスタートでしたか? 18歳だったので、それまでずっと親に守られて、友達に囲まれて生きてきたんですよね。誰も知らない土地で、建物も食べ物も全部違う。 最初は「わあ、すごい!私はいつ英語が話せるようになるんだろう」って、夢と希望でいっぱいでした。 でも、現実は全然甘くなかったです。 Q4. 通っていた学校やホームステイについて教えてください。 当時は今ほど語学学校が多い時代ではなかったんですが、なぜかレコーディングスタジオが並ぶストリートに新しくできた語学学校に通っていました。 ホームステイ先は、その学校の学長さんのお知り合いのご家庭で、そこからバスで通学していました。ホストファミリーは本当に良い方たちで、今でも連絡を取り合っています。 一番仲が良かった小学生の末っ子が、今では3人の子供のママ、留学で得た財産の一つです。 Q5. 留学中、つらいと思うことはありましたか? もちろんありました。話せない、聞けない、自分の思いが伝わらない。 でも、不思議と「帰りたい」とは思わなかったです。両親には「つらかったら帰ってきていいよ」と言われていましたが、私は「帰りたくない」と思っていました。 話せてはいないけれど、「なんか楽しいし、私できそうな気がする」そう感じて1年まるまる過ごしました。 Q6. その1年の留学は、その後の人生にどう影響しましたか? この留学は、自分自身の「ゲートが開いた」経験だと思っています。一番大きかったのは、人と話すことが億劫ではなくなったことです。 それまでは、「どう思う?」って聞かれたら、誰かの意見に合わせることが多かった。でも、自分の考えを持って、それを伝えられるようになりました。 Q7. 変化による“痛み”のようなものはありましたか? ありました。いつもYesと言っていた自分が、時にはNoと自分の意見を言うようになったことで、それまで仲が良かった友達と距離ができたこともあります。 でも、それによって「本当の友達が誰なのか」が見えたとも思っています。 それまでと違ったタイプの友達が出来始めたのも、その頃からです。 それは、私にとってはポジティブな変化でした。 次回予告(第3回) 18歳のナッシュビルでの1年は、ヨシミに「自分の意見を持ち、伝える力」をもたらしました。その経験は、その後の選択や生き方の土台となる、大きな転機でもありました。 帰国して大学を卒業後、日本で社会人として働きながらも、彼女の中には消えることのない想いが残り続けていました。 次回は、30歳を過ぎてワーキングホリデーが使えない状況の中、観光ビザでカナダへ渡るという決断をしたヨシミが、「帰るつもりだった」はずの旅を、人生を懸けた挑戦へと変えていく過程をお届けします。