【留学生を支える私の原点シリーズ:第4回】未経験でホテル勤務。カナダでつかんだ“残るチャンス”
サクセスカナダ代表・ヨシミの留学経験と人生の選択をたどりながら、なぜ今、彼女が“寄り添うサポート”を大切にしているのかを紐解くシリーズ、第4回です。 Q1. 観光ビザでカナダに滞在していた時、まず何をしようと思ったのですか? 観光ビザで来ていたので、残れる時間は6か月だと思っていました。その6か月で「自分に何ができるだろう」と考えたときに、まず始めたのが仕事探しでした。 でも、なかなか見つからないんですよね。当たり前なんですが、観光ビザなので。ワーキングホリデーも取れなかったので、カナダで仕事の経験を積むこともできない。本当に必死でした。 Q2. 仕事探しはどのようにしていたのですか? 求人広告に応募するときは、最初から「私にはビザがありません」ということを書いていました。それでもコンタクトしてくれる企業がないか、とにかく探していました。 でも5か月くらい経ってしまって、いよいよ来月帰らないといけないという時期になりました。その時に父に電話をして「こっちに残れそうにないので、来月帰るから」と伝えたんです。 Q3. そのタイミングで転機があったのですか? ちょうどその年、バンクーバーオリンピックの準備がある年でした。ブリティッシュコロンビア州と、アルバータ州の2つの州だけ、特別なビザが出るという話が出ていたんです。 ホテル業や飲食業など、観光業に限って働けるビザが期間限定で発給されるというものでした。 Q4. そのチャンスをねらって仕事を探し始めたのですか? はい。でも私は「バンクーバーに住みたい」という思いが強かったので、最初はバンクーバーでの仕事にこだわっていました。 そんな時に、求人広告で「バンフ」という場所のホテル勤務の募集を見つけたんです。観光で一度しか行った事のない場所、「バンフってどっち方面?」という感じでした。でも調べたら隣の州にある町だと分かって、とりあえず応募してみました。 Q5. 面接はどのように進んだのですか? 応募したときは、正直ビザのことや年齢のこともあり「多分無理だろうな」と思っていました。でも、突然「面接に来れますか?」と電話がかかってきたんです。 ただ、その時はもう資金がほとんどなくて、日本に帰るお金で精一杯でした。なので正直に「面接に行くお金がありません」と伝えました。すると「じゃあ電話でお話ししましょう」と言ってくれたんです。 Q6. 面接は電話で行われたのですか? はい。電話面接でした。まず一般のスタッフの方から電話があって、その後スーパーバイザー、デパートメントのマネージャー、最後に総責任者 全部で4回くらい電話面接がありました。顔を見たこともないのに面接が続いて、最後に「写真を送ってもらえますか?」と言われて写真を送ったら、「採用します」と言われました。 Q7. ビザの問題はどうなったのですか? その時に私も「私ビザないんですけど」と聞きました。すると「こちらでサポートします」と言ってくださったんです。 Q8. 周りの人の反応はどうでしたか? 友達にその話をすると、「絶対騙されてるから、ちゃんと調べたほうがいい」と言われました。確かにそうですよね。 観光ビザで、会ったこともなくて、電話面接だけで採用なんて聞いたことがない。普通はありえない話です。 Q9. それでも行こうと思ったのはなぜですか? 私はホテル業の経験は全くありませんでした。サービス業も経験がなく、「ホテルで何しよう…?」という感じでした。 でも、英語を話す機会があって、カナダに残るチャンスがあるなら行ってみよう、もし残れるようになったらそのあとバンクーバーに戻ってこよう、と思いました。もう本当に賭けのような感じで。 Q10. バンフにはどうやって向かったのですか? バンクーバーから長距離バスに乗って、夜行バスでバンフへ向かいました。朝8時にバンフに着いたのを今でも覚えています。 実は私、自分のことを「晴れ女」だと信じていて。自分の人生で道が開ける時は、必ず晴れるという気がしているんです。 その日、バンフは雲一つない真っ青な青空でした。それを見て、「私、行けるかもしれない」と思いました。 Q11. 実際にビザは下りたのですか? バンクーバーを出発する時には、ビザが承認されていました。その時はバンクーバーオリンピックの為、期間限定の特別ビザ発給で、本来1年のビザのところ、私には2年のワークビザがおりたんです。 次回予告(第5回) 未経験で飛び込んだカナダのホテル業界。英語は不十分、仕事も分からない中での挑戦は、決して簡単なものではありませんでした。 それでも、その経験がヨシミの人生を大きく変えていきます。次回はカナダでの経験が、どのように「サクセスカナダ」というサポートの形につながっていったのかをお届けします。